永代供養の歴史

【今の時代何が起きるかわからない】

皆様、ご無沙汰しております。10月下旬にも関わらず台風が2週続けて上陸し、大変な思いをした方も多いかと思いますが大丈夫でしたでしょうか。ここ近年の異常気象には本当に驚かされます。夏に春になっても寒いと思いきや突然夏の暑さになったり、梅雨に雨が降らないと思いきや突然豪雨に見舞われたり。気象に関わらず今の日本は明日何が起きてもおかしくない世の中になってきています。突然の事件・事故なども常に警戒していないといけません。そんな世の中、もしもの時のことは自分自身で考える時代になってきています。皆様ぜひ龍音寺を訪れて、ご住職のお話を聞いてみませんか?きっと心に響く何かを見つけることができるはずです。

【永代供養の起源】

さて、前置きが長くなりましたが今回は永代供養の歴史について書いてみたいと思います。

日本に永代供養という形のお墓が登場したのは今から30年以上前の1985年のことだと言われています。場所は滋賀県大津市にあります比叡山延暦寺。平安時代に最澄が開いた天台宗の総本山です。最初の永代供養募は久遠墓と呼ばれ、広大な敷地に2000基近くの永代供養墓が建っていました。この頃は少子化が加速し、それまでの伝統だった家墓を守ることができない家庭が増えていました。そんな時に登場した永代供養という新しい考え方は当然世間の大きな注目を浴びました。それからは日本各地で徐々に永代供養墓を取り扱う寺院が出始めていきました。

 

本格的に永代供養が普及していったのは2000年になってからだと言われています。このきっかけとなったのは1999年に部分改正された墓埋法です。これにより、お墓の引っ越しである改葬の手続きが非常に簡単になり、永代供養墓に改葬する方が増えたためだと思われます。これにより、後継ぎがおらず管理者不明となった無縁墓が減少する手助けにもなりました。また、インターネットの普及により多くの方に永代供養の情報が広まったのも永代供養が普及した要因の一つとなりました。

【永代供養に対する意識の変化】

しかし永代供養が登場してしばらくの間は、永代供養のイメージはあまりよくなかったようです。行き場をなくしたお骨を仕方なく預けたり、無縁墓のお骨を移したりということが中心で供養も行き届いてないことが多かったためです。そのため、あまり積極的には利用されていなかったようです。しかし永代供養が急速に普及するにつれ、安心できるシステムが構築されたり、手厚い供養が行われたりするようになり永代供養に対するイメージも向上していきました。

 

現在では永代供養墓という形だけではなく、通常のお墓に永代供養を付けることができたり、永代供養が付いた納骨堂ができたりと様々な永代供養が登場しています。今後ますます少子高齢化が進み永代供養の需要は増えていくと思われます。永代供養は決してご先祖様の供養をおろそかにするものではなく、お墓参りに行くことが難しい遺族に代わってお寺が供養を行う、供養を大切にする考え方の一つです。決してマイナスなイメージを持たないでください。また、冒頭に申しましたが、今の日本は何が起こるかわからない世の中になっています。そのため自分自身が将来入るお墓を自ら検討される方が増えています。そのような方々にも永代供養の需要は高まっています。

 

大分市にある龍音寺の永代供養納骨堂「観音堂」も大変人気のある永代供養の納骨堂です。ぜひ皆さま一度ホームページをご覧いただき、ご見学にいらしてくださいね。お待ちしています。

 

蓬莱山 龍音寺
大分県大分市荏隈庄の原2組-1
TEL 097-546-4121

 

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